発想仕事人モノづくり研究所blog

60数年間、世に未だ無い素材の開発と用途開発・新発想生活グッズの開発とそのマーケット開拓に励んでいます。60年に亙って創り続けてきた生活用品の数々をご覧ください。発想仕事人モノづくり研究所代表 小杉博俊©

1960年、日本大学芸術学部美術学科工業デザイン科入学

車で遊びまくっているうちに自分で車のデザインをしてみたく(1959年秋の東京モーターショー三菱自動車が「三菱500」を発表。宣伝を兼ねて発売前にフロントグリルデザインの公募があり、絵が得意だった叔父西尾忠男と一緒に応募したコトがきっかけだった)なり、当時マツダオート三輪車から軽自動車のR360クーペやキャロルなどユニークな車のデザインをほぼ一人で手掛けられていた小杉二郎(故人)さんと松本文郎(故人)さんが教壇に立つ日本大学芸術学部美術学科工業デザイン科入学に入学。

上京し下宿生活からアパートに移り、初めての一人ぼっちの生活を始めた。

18歳になるまでスポーツなど体を動かすコトを一切して来なかったので、これはまずいと思い、自分にできそうなスポーツを模索しているうちに、合気道なる古武術を知り、新宿区若松町にあった「合気道本部道場」に見学に行くと、近くの早稲田大学の女子学生が袴を履いて受け(攻撃をしかけ技を受ける)と取り(攻撃を捌いて技をかける)を交代しながら優雅に踊る様に反復稽古をしていた。女性が出来るなら自分も出来るだろうと思い、直ぐに入会した。

 

合気道本部道場 http://www.aikikai.or.jp/

同期には既にレーサーとして活躍していた生沢徹さんや後に無限を立ち上げた本田博俊さんなど、車好きの生徒が多く在籍していた。 

またカーメーカーに就職した先輩も遊びに来る工業デザイン専攻科のアトリエに居ると、話題は常に車のコトだった。そんなある日、たまたま隣に座っていた先輩に”今どんな(車の)デザインされていますか?”と訊ねたら、”カーラジオのノブのデザインをしている”と言う衝撃的な返事にビックリ! 詳しくお聴きすると今や車のデザインは組織的に行う時代で、小杉二郎先生の様に一人でデザインする時代はとっくに終わっているとのコト。

集団で活動するコトが苦手な僕は、この一言でカーデザイナーになるコトを諦め、一人でデザインできる生活用品のデザインをする決心をしたが、この頃は雑貨のデザインなどは工業デザイナーの仕事ではないとバカにされていたのだった・・・。

※三菱500(フロントグリルデザイン公募)                     https://mit-cardesign-t.com/top/design-story-japanese/ds-mitsubishi500/

マツダ・R360クーペ                            https://www2.mazda.com/ja/100th/cars/detail_002_r360.html 

※「工業デザイン思想」に基づく車づくりの先駆者:小杉二郎 

https://www.jahfa.jp/wp/wp-content/uploads/2019/12/2019-kosugi.pdf 

※名車文化研究所:人物 小杉二郎 マツダ・R360クーペ/クリフカットのキャロル

https://meisha.co.jp/?p=7184&utm_source=sotoshiru

「雑貨のデザイン」に賛同くださった松本文郎先生は、小型ガスコンロなどのデザインをされていた。 

1959年、クリップの取り出し口にゴム磁石を貼って、クリップが取り出し易いケース「pockeclip:ポケクリ」を考案。実用新案登録。大阪の文具メーカーから発売。